久坂葉子|黄金の鳥籠――名門の娘が選んだ鉄路【無名夭折詩人列伝 3】

神戸山手の高台から見下ろす静かな街並み、久坂葉子の出自を象徴する風景
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はじめに――筆者はなぜ久坂葉子を取り上げたか

私は久坂葉子くさかようこという名前を、これまで知りませんでした。
戦後夭折詩人を辿る中でその名に出会い、まずはAIが整理した下書きを読みました。正直に言えば、特別な衝撃があったわけではありません。ただ、提示された事実や背景を一つひとつ確かめながら読んでいくうちに、私はこの半世紀以上も前の無名の作家の生きざま死にざまに、やはり真の芸術家特有の唯一無二の輝きと破綻を見て、その魅力の享受とともに、こんなちっぽけな人生にも寄与するかもしれない、と思ってみるのでした。

名門の令嬢でありながら、二十一歳で自ら命を絶った人。
その生涯は劇的です。私がもどかしく願い、あるいは企んだのは、劇的な事件の意味を追うよりも、”人生の再生”という主題との重なりを見出すすべはあるのかどうかです。

恵まれているはずの環境の中で息苦しさを抱え続けたこと。外からはけっして見えない繊細で鋭利な葛藤を内に抱えていたこと。それらが、私がこのブログで繰り返し考えてきた気障で拙い問いと無理なくつながるかどうかは、まだ判然とはしていません。

私はこの詩人に強く揺さぶられたわけではありません。
けれど、今、ここで私はこの無名夭折詩人をまぎれもなく、どうしてか取り上げているのです。

黄金の鳥籠から空へと飛び立つ一枚の木の葉
黄金の鳥籠を脱し、木の葉のように舞い落ちる
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神戸・山手という舞台

神戸の山手。港を見下ろす高台に立ち並ぶ洋館。異人館のステンドグラスに射し込む午後の光。ジャズが流れる喫茶店。戦後の混乱期にあっても、ここには独特の洗練と華やかさが残っていました。

異人館の窓から射し込む午後の光とステンドグラス
神戸・山手。光が射す異人館の静謐

1931年(昭和6年)、この地に一人の少女が生まれました。本名・川崎澄子。後に「久坂葉子」というペンネームで文学の世界に足を踏み入れる彼女は、誰もが羨むような血統を持っていました。

曾祖父は川崎造船所(現・川崎重工業)の創始者・川崎正蔵。男爵家の血を引く名門の令嬢。広い邸宅、使用人、何不自由ない教育。彼女の生活は、外から見れば完璧なまでに恵まれていました。

彼女はその黄金の鳥籠から飛び出そうともがき続け、そして1952年12月31日、大晦日の夜、阪急六甲駅で三宮発梅田行きの特急電車に身を投げました。享年21歳。

前回取り上げた長沢延子とほぼ同世代でありながら、対照的な環境で育った久坂葉子。彼女の死もまた、戦後という時代が個人に突きつけた問いへの、一つの絶望的な回答でした。

*  *  *

名家という重圧――「川崎澄子」であることの息苦しさ

久坂葉子(川崎澄子)にとって、”川崎家の令嬢” という肩書きは、誇りであると同時に呪いだったらしいです。

重厚で閉ざされた鉄格子の門扉と名家の豪邸
川崎家」という名の重い鉄扉

彼女が育った1930年代から40年代は、財閥解体と民主化が進められた時期でした。旧来の特権階級は社会的地位を失い、民主主義という新しい価値観の前では、血統も家柄も意味を持たなくなりつつあったと。

家族や親族は依然として「川崎家」という看板にしがみつき、その虚栄を守ろうとしていた、さらに彼女の父は事業に失敗し、経済的にも没落しつつあった。かつての栄光と現在の惨めさのギャップ。家族内の不和。そして、令嬢としてふさわしく振る舞うことを求められる息苦しさ。

彼女は、日記や手紙の中で繰り返し書いているそうです。私は私自身でありたい、肩書きを捨てたいと。彼女にとって、文学は ”川崎澄子” という檻から逃れ、”久坂葉子” という自由な個人になるための唯一の手段だった。

ペンネーム「久坂葉子」に込めた意志

ここで少し立ち止まり、彼女が選んだペンネームそのものを読んでみましょう。

「久坂」という姓は、幕末の志士・久坂玄瑞から連想されることがある。玄瑞は吉田松陰の弟子であり、禁門の変で若くして命を落とした人物です。彼女が意識していたかどうかは定かでありませんが、反逆と早世という運命を帯びた名を自ら選んだとすれば、なるほど象徴的な選択です。

木の机に便箋と万年筆が置かれた静物、久坂葉子のペンネームを象徴
名を選び直す、静かな決意。

葉子という名も興味深い? 葉は木の梢に生まれ、秋には必ず散る存在。根から切り離されてもなお短い命を輝かせ、やがて落ちてゆく。本名「澄子」の澄んだ水の静謐さとは対照的に、揺れ動き、燃え、散ることへの予感が宿っていそうです。ペンネームを定める頃からすでに自らの運命を書き始めていたのかもしれません。

*  *  *

文学への逃走――同人誌「VIKING」と島尾敏雄

戦後大阪の古い喫茶店の一角、同人誌VIKINGを象徴する空間
文学へ向かう、小さな灯り。

10代の頃から詩や小説を書き始めていた彼女は、やがて島尾敏雄の紹介で、富士正晴が主宰する大阪の同人誌「VIKING(ヴァイキング)」に参加します。

「VIKING」は、戦後関西の前衛的な文学グループで、既成の文壇や権威に対して批判的な姿勢を持っていました。ここで彼女は、川崎家の令嬢ではなく、一人の書き手、久坂葉子として認められる場所を見つけました。

島尾敏雄や富士正晴といった、戦後文学を代表する作家たちとの交流は、彼女にとって大きな刺激でした。彼らは彼女の才能を認め、励ましましたが、彼らの期待は彼女にとって新たなプレッシャーともなりました。

「VIKING」という場所の意味

曇天の下で荒れる海、VIKINGの名に重なる荒波
理念と現実のはざま。

「VIKING」という誌名は、一種の宣言でした。ヴァイキングとは、定住せず海を渡り、既存の秩序を力で打ち破る存在。戦後の廃墟の中で、文壇の権威主義や既成の美意識に反旗を翻すという姿勢が、その名には込められていました。

関東の文壇が中央として君臨するなか、関西を拠点としたVIKINGは、地理的にも文学的にも周縁に位置していました。そこは血統よりも言葉の力が問われる場所でした。久坂葉子にとって生まれて初めて川崎澄子という名を問われずに済む場所であった。

逃げ場を見つけた者がしばしばそうであるように、彼女はその場所に完全に安住することもできません。令嬢の道楽という視線が、文学の世界でさえ完全には消えなかったから、そして、認められたいという渇望が強ければ強いほど、拒絶の傷はなお深くなっていきます。

島尾敏雄が彼女に寄せた期待は、善意によるものでしたが、善意はときに彼女の書くことへの純粋な衝動を、外部からの評価――承認欲求という圧力に変えてしまいました。書くことが認められるための行為にすり替わっていくとき文学は自由の場所ではなくなります。その矛盾の中で、彼女は次の大きな賭けに踏み出すことになります。

*  *  *

『ドミノのお告げ』精読――小説の構造と「個の叫び」

詩人のシリーズ記事でしょっぱなに小説を扱うことの多少の違和感はご容赦いただきます。私小説のようであり、久坂葉子の生涯でもおそらく重要な作品と思われますので。

1950年、19歳の久坂葉子が書いた小説『ドミノのお告げ』は、第23回芥川賞の候補作となりました。まだ10代の無名の書き手が文壇の頂点に近い場所まで駆け上がったという事実は驚くべきことですが、重要なのは、この自伝的作品が、何を描こうとしていたのか、です。選考から落とされ、酷評を受けることになる作品を、彼女はおそらく命がけで書き抜いた。動機と構造を読み解くことで、作家の核心が見えてきます。

「ドミノ」というモチーフが持つ意味

タイトルの「ドミノ」という言葉は、物理的な連鎖を意味します。一枚が倒れ、次が倒れ、また次が倒れる、止められない連鎖。予め決まっている帰結。

途中で止まったドミノの列、『ドミノのお告げ』の象徴的構図
連鎖は、どこで止まるのか。

久坂がこの言葉を選んだとき、もう一つ意味が重ねられていたように読めます。ドミノとは ”支配する” を語源とするラテン語 dominus(主人)からきており、「ドミノのお告げ」とは、主人からの命令、あるいは、運命からの宣告です。

川崎家に生まれた澄子という少女が、生まれた瞬間から一枚目のドミノとして立てられ、やがては決まりきった最後まで無事に倒れるように緻密に仕組まれた連鎖の中に置かれていた。「お告げ」という言葉が持つ宗教的・権威的な響きは、彼女が ”家” という制度から受け取った、逃れがたい宣告の感覚と重なります。

語り手の視点と距離感――私小説でありながら私小説でない構え

戦後日本の文学の、ことに新人作家の作品では、一人称の私小説的語りは珍しくありませんでした。島尾敏雄も大岡昇平も、多かれ少なかれ自己の体験を素材にしていました。

鏡に映る後ろ姿の人物、顔は見えない構図
内と外の、わずかなずれ。

しかし久坂葉子の『ドミノのお告げ』が興味深いのは、明らかに自伝的な素材を扱いながら、語り手がその体験に没入しきらない距離感を保っている点です。彼女は自分自身の話を書きながら、どこか俯瞰で見下ろしている。その二重性が文体に独特の緊張感を与えています。

これは川崎澄子として生きながら久坂葉子として観察するという、彼女の実存そのものの構造です。内側にいる自分と、外から見ている自分。その分裂は彼女の苦しみの源でしたが、同時に作家としての武器であり、宿命でもありました。

19歳の書き手がこの構造を意識的に操作できていたかは分かりませんが、結果として、彼女の小説は、叫んでいるのにどこか静かに眺めている、という二重性を持っていました。それが当時の選考委員たちには未整理、荒削りに見えたのかもしれませんが、当然、激しくほとばしりながら生まれ出てくる芸術創造の端緒は、いつの時代も決して変わりません。

「お告げ」という言葉の両義性――救済と死への誘い

「お告げ」の意味には二つの方向があります。一つは救済の言葉。神や聖者が苦しむ者に語りかけ、道を示す告知。もう一つは死への誘い。運命が当人に向かって、おまえの終わりはここだ、と告げる宣告。

薄明の教会内部に一条の光が差す無人空間
救済か、宣告か。

久坂葉子の小説は、二様のお告げの間を揺れています。主人公は何かを告げられるのを待っている。しかしそれが救いなのか破滅なのか、最後まで定まらない不定性が、同時代の小説とは異なる緊張感を与えています。

選考委員の丹羽文雄は、この小説を「チャーチル会の女優の静物画の程度」と酷評しました。「静物画」という言葉が、そのまま批判の核心を示しています。丹羽には、この作品が動いていないように見えたのですが、的外れの批評です。この小説の主人公は動けない。動けないように生まれついた存在として、ドミノのように倒れるのを待ちながら、「お告げ」をただ待ち続けている。その束縛的静止こそが主題なのです。人間が動いているように感ぜられないことが、この小説の、おそらく作者の意図しない告発の表現でした。

背景と登場人物

かつては祖先の銅像が建つほどの豪華な生活を送っていた名家でしたが、現在は没落し、家財や骨董品を売り払ってその日暮らし(売喰い)をする没落家族の姿が描かれます。 主人公の「私(雪子)」は27歳の独身女性で、以下のような崩壊状態の家族を抱えています。

語り手(私)は、没落しゆく家族の病苦や虚無感に囲まれながら、賭け事の中に一瞬の生の火花を見出そうとしています。

【AIによる作品ガイド:没落の肖像と「生」への渇望】
※読者の皆様がより深く作品を味わえるよう、AIツール(NotebookLM)で作成した補助資料です。

久坂葉子『ドミノのお告げ』のあらすじ、テーマ、象徴的な場面(血を売って皿を買う虚無感や賭け事による生の燃焼)をまとめた図解画像。
図解:没落する旧家の肖像と、暗闇に閃く「生」の火花
  • :持病の喘息で寝たきりの廃人。かつては孤独で家族と距離を置いていましたが、美術品や骨董を愛する趣味の面でのみ雪子と心を通わせていました。
  • :神霊教という新興宗教に狂信的にすがり、事あるごとに祈祷に明け暮れています。
  • 兄(信一):結核で長く入院しており、モーツァルトや美術品を愛する世間離れした青年。
  • 弟(信二郎):体が弱くおとなしい性質でしたが、ジャズバンドのアルバイトを企てたり、年上の人妻と白昼に密会したりと、危うい青春を送っています。

あらすじ

雪子は、喘息で苦しむ父に自身の血を輸血して小遣いをもらい、隠れて小商いをするなどして鬱屈した日々を過ごしています。彼女の唯一の気晴らしは、弟や同居する叔母たちと夜な夜な興じるトランプやサイコロなどの「賭け事」でした。

ある日、雪子は街の八卦見(占い師)から「今月中に大きな変動(動き)がある」「重荷に押しつぶされてしまう恐れがある」と予言されます。家財道具を二束三文で売り払うなど、経済的にも精神的にも追い詰められていく中、突如として父が発作の末にひっそりと息を引き取ります。

結末

父の葬儀を終えても、雪子の生き方や家族の根本的な状況は変わりません。結核の兄、祈り続ける母、心を閉ざした弟を抱え、雪子は八卦見の言葉通り、自分の ”エゴイズム” や ”自由” を抑え込んで、これからも重い荷物を背負い続けることを自身の宿命として受け入れます。

物語の最後、雪子たちは再びカードゲームに熱中します。退廃的な日常の中で、雪子はこの果敢な賭けの世界に身を投じる瞬間にだけ弟と心を通わせ、自分のいのちを燃やしている、という実感を得ます。しかしその刹那、隣の仏間から夜の行を始めた母の獣のような奇怪な祈祷の声が響き渡り、物語は幕を閉じます。

*  *  *

芥川賞落選という傷――文壇の価値観 vs 久坂の文学的立場

インクが滲んだ原稿用紙と折れた万年筆
文壇からの拒絶、存在否定の痛み

芥川賞の落選を、感情的な挫折としてのみ読むのは正確ではありません。それは二つの異なる文学観の衝突でした。

「完成度」対「切迫性」

磨かれた彫刻と荒削りの石を並べた静物
形式と衝動のあいだ。

当時の芥川賞選考が重視していたのは、完成された文体と成熟した世界観でした。戦後文学の一つの規範として、苦境を経験し、それを消化し、形にした作品が評価される傾向がありました。

久坂葉子の書き方は、その規範とまったく異なる場所から来ていました。彼女の文体には完成を目指す意志よりも、今この瞬間に言わなければ死んでしまう、間に合わないという切迫性がありました。磨き上げられた様式美ではなく、未処理の純心から溢れだし飛び散った溶岩がそのまま言葉になって固まったような、荒削りの強度を持っていました。

完成度を求める批評眼には、そうした切迫性は未熟に見えます。逆に、行く先の短い切迫性を価値とする視点から読めば、最も本質的な意味での「生きた文学」です。戦後日本の文壇は、当時まだ前者の規範を手放していませんでした。久坂葉子の文学は、その規範の10年先どころか、この世の彼方を走っており、それゆえ生者には理解されなかったのでは、と私は考えています。

怒りの底にある絶望

彼女は日記や友人への手紙で、選考委員たちへの激しい怒りを吐露していますが、単純な負け惜しみではありませんでした。

彼女が文学に賭けていたものは、技巧の称賛ではありませんでした。私はここにいる、そして早々とどこかへ行ってしまう、という命の存在と焦燥感の証しでした。『ドミノのお告げ』を書いたとき、彼女は「川崎澄子」という名を捨て、「久坂葉子」として決然と立ち上がった。その試みが文壇から静物画の程度と言われたということは、彼女の存在意義の否定でした。

開封済み封筒が机に置かれた静物、芥川賞落選を暗示
評価は、ときに暴力となる。

怒りは自尊心の表れです。その下に流れていたのは、私はこの世界に居場所がないのかもしれない、という、より深い絶望と確信でした。名家にも居場所がない。文学にも居場所がない。ならばどこへ行けばいいのか——この問いは、1952年の大晦日まで、彼女の中で答えを見つけることがありませんでした。

*  *  *

詩「こんな世界に私は住み度い」精読――言葉の層を剥がす

朝の柔らかな光の中で白いカーテンが風に揺れる室内、久坂葉子の詩「こんな世界に私は住み度い」を象徴
それでも、住みたいと願う。

久坂葉子の詩の中で、最もよく知られ、最も直截に彼女の魂を語るのが「こんな世界に私は住み度い」です。一行ごとに複数の意味の層が重なっており、表面の単純さとは裏腹に、読めば読むほど深みが増します。純粋な思想詩です。

テクスト――原文引用

こんな世界に私は住み度い

こんな世界に私は住み度い、
肩書きもいらず勲章もなく、
人はそれぞれはだかのまゝの心でもって、
礼節だけはわきまへて、
男と女も仕事をし、
男と女も恋をして、
ひとりひとりの幸福を
ひとりひとりのねぎごとを
心にそっと小さくもって、
一生かゝって、みずからのため しつくす
こんな世界に私はすみたい。

「こんな世界に私は住み度い」久坂葉子全集第三巻(鼎書房)より
(縦書き踊り字は筆者が「それぞれ」と変えた)

「はだか」と「礼節」の共存

向かい合う二脚の椅子が置かれた静かな室内空間、対等な関係を象徴
対等であるという、礼儀

この詩で最も重要な一節は、第三・四行の「人はそれぞれはだかのまゝの心でもって、/礼節だけはわきまへて」です。「はだかのまゝ」だけを読むと、あらゆる規範の拒絶のように聞こえます。

しかし久坂はすぐ次の行で「礼節だけはわきまへて」と続ける。この「だけは」という限定が決定的です。

彼女が求めたのは、肩書きや階級という恣意的な ”上下” を捨てながら、同時に人と人が対等に向き合うための最低限の倫理——礼節——は保つ世界でした。彼女は単なる反逆者ではありませんでした。制度的な権威を取り除いた後に残るべき、本来の人間的な礼儀を守ることを望んでいた。19歳の作家の思想としては、とても成熟した倫理観です。

「男と女も仕事をし、/男と女も恋をして、」

【助詞の独自性】 「仕事をし」の、「と」「も」 に注目してください。男が仕事をし女が家を守る、という戦後社会の規範に対して、「男も女も」ではなく「」と書いています。「と」は並列「も」は包含、といった文法的説明を超えた微妙な雰囲気の相違が、彼女の言語感覚の唯一独特の個性を表してはいないでしょうか。

【1950年代の文脈における先進性】仕事をし」と「恋をして」が同等に並べられていることも重要です。1950年代初頭の日本においては、きわめて先進的な主張でした。新憲法は男女平等を謳いましたが、現実の社会はまだ良妻賢母という規範の中にありました。久坂葉子はその矛盾を、みじかい詩の言葉で見事に突いています。

「ひとりひとりの幸福を/ひとりひとりのねぎごとを」

ひとりひとりの幸福を/ひとりひとりのねぎごとを」——「ひとりひとり」の反復は、集団でも家でも国でもなく、一人ひとりが固有の幸福と祈りを持つという個の尊厳の宣言です。「ねぎごと(願い事)」は神への祈り言を意味する古語で、日常語ではありません。

窓辺に複数の小さな灯りが並ぶ室内風景、個の尊厳を象徴
ひとりは、ひとつの光。

可視的な ”幸福” と、言葉にならない内なる ”ねぎごと” の両方を「心にそっと小さくもって」——声高に主張するのではなくひっそりと抱えて生きること。この慎ましさが「礼節だけはわきまへて」と呼応しています。

「一生かゝって、みずからのため しつくす」

荒れた地面に一輪だけ咲く白い小さな花
一生かゝって、みずからのため、しつくす

【詩全体のクライマックス】 この行が、詩全体の中で最も重く、最も激しい一行です。「一生かゝって」——短い命を予感しながらも、生涯をかけるという覚悟。「みずからのため」——他者のためでも、家のためでも、国のためでもなく、自分自身のために。「しつくす」——し尽くす、やり遂げる。

【みずからのため、という宣言の重さ】 「みずからのため」という言葉は、1950年代の日本において、ことに女性が口にするには相当な勇気を要する言葉でした。家のため、夫のため、子のため、が美徳とされた時代に、「みずからのため」と書くことは社会的宣戦布告でもありました。久坂葉子はそれを詩の核として置いた。ここに詩人の本質的な反逆があります。

冒頭と末尾の「住み度い」「すみたい」

詩は冒頭の「住み度い」と末尾の「すみたい」で円環を成します。旧仮名から平仮名へ——詩の終焉に向かうにつれ言葉が解けていくような、あるいは諦めのような、微妙な変化も詩の一部です。「住みたい」という願望形は、終わりまで「住んでいる」にならない。その世界がまだ存在しないことを、詩は静かに告白し続けています。

この詩が書かれたのは、彼女が繰り返し死を試みながら、1952年の最後の実行に向かって加速していく時期でした。「一生かゝって、みずからのため しつくす」という言葉は、生への渇望と死への引力の間で引き裂かれながら、それでも生き尽くしたいと願った魂の叫びです。詩を書くことは、言葉によって存在を証明する行為です。久坂葉子にとってこの詩は、 ”私はここにいた、こう生きたかった” という最も純粋な証拠でした。今も確実にそれを証明しています。

*  *  *

都会的な感性と深い虚無――神戸という街の精神

夜のジャズ喫茶の無人ステージ、スポットライトのみ点灯
華やかさの裏の、深い静寂。

久坂葉子の作品には、神戸という街の雰囲気が色濃く反映されています。ジャズ、喫茶店、ファッション、洋館。都会的でモダンな感性に満ちていますが、洗練された表面下には、深い虚無感が流れています。美しいものに囲まれながら心は満たされず、物質的に恵まれながら精神的には飢えている。あえてその矛盾を追い求めたものだとも思えます。

「港町」が育てる二重性

神戸という都市は、開港以来、西洋と東洋が交差する場所として独特の文化的重層性を育んできました。居留地の洋館の隣に長屋があり、英語の看板の傍らに無造作に漢字が並ぶ。城下町や農村とは異なる感受性を住民に与えます。

本物と模造が隣り合い、上流と下層が数百メートルの距離で共存する街。山手の令嬢は港の雑踏を窓から見下ろし、港の労働者は山手の洋館を見上げます。久坂葉子は見下ろす側に生まれながら、常々、見上げられる者の視線に晒されていることを鋭く意識していました。

雨の夜のジャズ喫茶で独り煙草を吸う男の背中
洗練の裏側に流れる深い虚無の調べ

彼女の文章にはジャズや喫茶店が趣味として頻出します。ジャズは深い悲哀を表面の華やかさに昇華した芸術です。輝きの底に流れる ”豊かさの中の哀愁” に惹かれたということでしょうか。

長沢延子が戦後地方都市の閉塞感の中で窒息したとすれば、久坂葉子は戦後都市の華やかさの中で孤独に苛まれました。貧困と富裕。地方と都会。しかし両者が感じていた生きづらさの本質は、驚くほど似ていました。ここに私の居場所はない、決してここではない、という感覚です。場所も環境も正反対でありながら、同じ孤独と乱逆に辿り着いた——二人を並べて読むことの意味を深くしています。

*  *  *

「幾度目かの最期」精読――未完の原稿が語るもの

文字の途中で万年筆が止まった未完の原稿
書き終えられなかった言葉、生の痕跡

久坂葉子が最後に書き残した原稿のタイトルは、「幾度目かの最期」でした。彼女が阪急六甲駅のホームに立った日、この原稿は未完のまま手元に残されていました。未完であること。それは偶然の結果でしょうか。そこにはまた何か別の意味があるのでしょうか。

「幾度目かの最期」―作品概要

登場人物:3人の男性

語り手(私)は、以下の3人の男性の間で揺れ動き、自分を罪深い女と責めています。

【AIによる作品ガイド:視覚でたどる愛憎の軌跡】
※読者の皆様がより深く作品を味わえるよう、AIツール(NotebookLM)で作成した補助資料です。

  
『幾度目かの最期』へのカウントダウンと相関図
図解:彼女を囲む3人の男と、最後の10日間の軌跡
  1. 緑の島(過去の人): かつて愛した妻子ある男性。関係は終わっているはずだが、まだ愛情と執着が残っている。
  2. 青白き大佐(婚約者): 契約結婚のようなドライな関係の婚約者。愛してはいないが、彼の大人な態度に甘え、頼っている。
  3. 鉄路のほとり(現在の恋人): 今、激しく愛している男性。彼の愛を得て、「緑の島」や「青白き大佐」との関係を清算し、共に生きたいと願っている。

あらすじ・要約

1. 死の決意と3人の男性への葛藤  12月22日に黒部で自殺しようと決めていた「私」ですが、自身の演劇公演や仕事の整理のためにそれを延期します。彼女の心は3人の男性の間で引き裂かれており、特に新しい恋人「鉄路のほとり」への愛にすべてを賭けようとします。彼女は婚約者である「青白き大佐」に契約破棄を告げ、「鉄路のほとり」と生きようとしますが、状況は複雑に絡み合います。

2. 「鉄路のほとり」との破綻  「私」は「鉄路のほとり」に救いを求めますが、彼の態度は徐々に冷淡になります。彼は「私」に対し、小説に「本当のことが書けない」と批判したり、皮肉を言ったりして突き放します。ある夜、酔った彼と共にいる際に、見知らぬ男とトラブルになり、その際の「私」の行動(警察関係の封筒を見せて相手を威圧したこと)が彼を失望させ、決定的な溝が生まれます。

3. 絶望と最後の決断  12月30日から31日にかけて、「私」は「鉄路のほとり」からの連絡を待ち続けますが、彼からは何の音沙汰もありません。彼との関係が終わったことを悟り、また家族との確執や自身の ”罪深さ” に耐えきれなくなった彼女は、生きる気力を失います。

4. 結末  大晦日の午前2時頃、彼女はこの手記を、”虚構でなしに、本当のことだけを書いた” 最後の仕事として書き上げます。彼女は北陸の武生(タケオ)など雪の降る場所へ死にに行くことを示唆し、静かな絶望の中で筆を置きます。

タイトルの修辞学――「幾度目かの」という諦念とユーモア

閉じたノートと置かれたペン、手は写らない
書くことを、止めた瞬間。

最期」はいのちの終わりを意味します。それに「幾度目かの」という数詞が冠されている。最後が複数回あるというのは、自殺未遂を繰り返し経験してきた人生の正確な記述です。

「幾度目か」という曖昧な数え方も注意深く読む必要があります。何度目かわからぬほど繰り返した、もう数えることもやめた――疲弊と自嘲的なユーモアが同居しています。21歳の作家が ”幾度目かの最期” と書いてしまうことにはやるせない哀しみがありますが、自分自身を客体として見る冷徹な視線があり、彼女をまぎれなく本物の芸術家にしていました。

未完であることの二重の意味

この原稿が未完であることの読み方は二つあり、一つ目は、単に衝動的に書き終える前に死を実行した。言葉(創造)よりも、真っ先に死(破壊)を選んだというものです。

書きかけの原稿用紙と年末深夜を指す時計
まだ、終わってはいないのか?

二つ目は、この作品をあえて完成させなかったのかもしれない。「最期」はまだ終わっていなかった。知ってか知らずか、あえて書き終えられないままに、この物語はまだ続いていることを暗示したと読むものです。未完の芸術作品は、謎の ”続き” を想像させて永遠性を持ちます。73年経った今も私たちは幻の「最期」を描き続けています。

「書くことと死」という問い

フランスの思想家モーリス・ブランショは、「書くことは死ぬことに似ている」と述べました。書き手は作品の中で自らを消し、その代わりに言葉だけが残る。書くという行為は、ある種の自己消滅であり、それゆえに書き手は常に死の縁を歩いているという考え方です。

久坂葉子の生涯は、この問いの最も切実な具体例の一つです。彼女にとって書くことは、生きることと死ぬことの境界線上にある行為でした。書いているあいだは ”言葉の中で生きている” 。書き終えたとき、あるいは書けなくなったとき、実際の死が近づいてくる。「幾度目かの最期」が未完のまま残されたという事実は、そういう意味を付して読まれるべきかもしれません。書くことを止めたとき、死を実行した。死は背後に降りてきた、そこでペンを握り書き続けていたかぎり、たぶん生き永らえていた。未完の原稿は、生の ”最期の” 痕跡です。

*  *  *

大晦日の夜の実行

雪が舞う夜の無人の駅ホームと鉄路の光
1952年大晦日。鉄路に消えた命

1952年12月31日。大晦日の夜。多くの人が新しい年を迎える準備をしている時、彼女は阪急六甲駅のホームに立っていました。そして、梅田行きの特急電車が近づいてきた瞬間、線路に身を投げました。享年21歳。

彼女が選んだ大晦日という日付を、偶然と見ることはできない気がします。一年の終わりの夜。人々が過去を振り返り、新しい年へ向けて希望を持つ夜を選んだことに、何らかの意味はなかったのでしょうか。本当の最期だという決意でしょうか。

彼女が選んだ死に方は、長沢延子の服毒自殺とは対照的に、瞬間的かつ激烈なものでした。近代の象徴である鉄道という、巨大な速度と重量を持つ物体との衝突。川崎造船所の創始者を曾祖父に持つ若き女性が、鉄道という近代産業の産物に命を託した。近代が生んだ家に縛られ、近代が走らせた鉄路に終わる——その円環の残酷さと奇態な整合性を、私たちはどう受け取ればいいのでしょうか。

*  *  *

長沢延子との対比――二つの反逆の形、二つの文体

薬瓶のある和室と夜を駆ける蒸気機関車の対比
内への静かな反逆と、外への激烈な抵抗

前回取り上げた長沢延子と久坂葉子を並べるとき、対照的な要素の多さに驚かされます。その対照を丁寧に見ていくと、底に流れる共通性が浮かび上がってきます。

環境・死・文体の三点比較

出身環境: 長沢延子:地方都市・桐生、貧困、戦後の混乱 
/ 久坂葉子:都会・神戸、富裕な名家、戦後の華やかさ

死の様相: 長沢延子:服毒(静かで内向的、緩やかに訪れる死) / 久坂葉子:鉄道投身(激烈で外向的、瞬間に訪れる死)

文学の場: 長沢延子:ほぼ孤独な創作、評価されないまま死去 
/ 久坂葉子:VIKINGの仲間、芥川賞候補まで到達するも落選

文体の特徴: 長沢延子:素朴・内省的、叫びを内に向ける 
/ 久坂葉子:都会的・鋭利、叫びを外に向ける

それぞれの死の様相が、それぞれの文体と対応していることに注目してください。長沢延子は内側へ向かいました。服毒という、外から見えない場所で起きる死。内省的で静かで、声を外に向けない詩行でもありました。久坂葉子は外側へ向かいました。駅舎という公共の場所で、瞬間的に起きる死。彼女の文章もまた、社会に向かって叫び、問いかけ、怒りを外に放出する文章でした。

”死に方” と ”書き方” が一致している、と言えば不謹慎でしょうか。ふたりの作家が持っていた存在様式の表れだとも読めます。真の詩人は、どのように書くかと、どのように死ぬかが、同じ命の源泉のような所からところから来ているのかもしれない——二人の対比は伝記的な比較を超えて、文学と生の本質的な関係についての問いを開きます。

共通する「個として生きることの困難」

対照の奥に、この二人を結ぶ共通の主題があります。どちらも ”家” への反逆でした。長沢延子は、女性であること、という役割への反逆。久坂葉子は、名家の令嬢であること、という属性への反逆。どちらも自己以外から与えられたアイデンティティを拒否し、自分だけの言葉と自由を求めて書き続けました。

静かな水面と荒れた波の二分割構図
二つの死、二つの文体

新しい憲法は男女平等を謳いました。しかし現実の社会はまだまだ封建的な価値観に縛られていました。家父長制、結婚制度、良妻賢母という規範。それらに従順に従うことができなかった女性たちは、社会に居場所を見つけることができませんでした。長沢延子と久坂葉子は、その時代の犠牲者であると同時に、勇敢な抵抗者でもあったのです。

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現代への問い――「何者でもない私」になる自由

暗い部屋でスマートフォンの光に照らされた無人の机
光の中で、肩書きを探す。

久坂葉子が求めた ”肩書きのない世界” は、現代社会においても実現されているとは言えません。私たちは今も、家庭環境、学歴、職業、年収、フォロワー数といった様々な肩書きによって自分を定義し、また他者から定義されています。SNSのプロフィール欄には、私たちが何者であるかを示す記号が並んでいます。

「肩書き」の変容と不変性

スマホを見つめ顔が白く光る群衆のモノクロ写真
記号に埋もれ、個を失う現代の孤独

久坂葉子が生きた時代の肩書きは、家柄・血筋・性別・社会的階級でした。現代の肩書きは、フォロワー数・職業・最終学歴・年収へと形を変えています。しかし本質は同じです。「あなたは何者か」を外側から規定し、その枠内に収まることを求める同調圧力。

むしろ現代の方が、その圧力は精巧で見えにくくなっているかもしれません。久坂の少女時代の「家柄」は明確な制度として存在していたので、反抗の対象が見えやすかった。しかし現代の肩書きは、しばしば、自己実現や自由な選択、などのそれらしい言葉で包まれています。好きなことをして生きる、なりたい自分になる——その言説の裏に、何かになれなければ価値がないという圧力が潜んでいます。

久坂葉子は問いかけます。それらをすべて剥ぎ取った時、あなたはいったい何者なのか、と。「何者でもない私」になることは、現代においても難しい。いや、人工知能やSNS時代の今だからこそ、より困難になっているかもしれません。明確なペルソナ(仮面)の設定なしでは機械的に弾かれます。承認欲求と自己顕示欲が絡み合う世界で、はだかのままの心を保つことは、ほぼ不可能に近い。それでも彼女は「住みたい」と書きました。その一語の切実さは、70年を超えてなお、私の胸に刺さります。

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久坂葉子の作品に触れるには

木製の書棚に並ぶ古い文学書、久坂葉子の作品に触れる読書空間を象徴する室内風景
いまも、ページは静かに開かれている。

久坂葉子の作品は、いくつかの形で今も読むことができます。

『久坂葉子全集』(2004年、 鼎書房) 当記事の「こんな世界に私は住み度い」はこの本の表記を引用させていただきました。大阪市立図書館でお借りしたもの。(一か所、縦書き踊り字を筆者が「それぞれ」と変えました。横書きにする方法がわからなかったためです。)

『久坂葉子全集』(1974年、講談社) 現在は絶版ですが、古書や図書館で読むことができます。彼女の小説・詩・日記・書簡が収録されており、久坂葉子という作家を総体として知るための基本文献です。

各種アンソロジー 戦後女性文学や夭折作家のアンソロジーに、しばしば彼女の作品が収録されています。書店や図書館の「戦後文学」コーナーなどに当たってみてください。

神戸文学館 神戸市灘区にある文学館では、時折久坂葉子に関する展示が行われることがあります。彼女が生きた山手の街を実際に歩くことも、一つの追悼と理解の形です。

また、彼女の生きた神戸・山手のエリアは、今もその時代の面影を部分的に残しています。異人館の立ち並ぶ北野町、六甲の住宅街、阪急の路線。それらを歩くことで、彼女の文章に書かれた風景が身体的な感覚として蘇るかもしれません。

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次回予告:定型律への賭け――短歌という器

ここまで、自ら死を選んだ二人の少女詩人を見てきました。長沢延子は服毒という静かな死で。久坂葉子は鉄路という激烈な死で。どちらも、「個として生きること」への渇望を抱えたまま、21歳前後で生を閉じました。

次回からは、表現のジャンルを変えて、短歌の世界に目を向けます。

五七五七七という31文字の厳格な型。その制約の中で、自らの過剰な生を凝縮し、結晶化させようとした歌人たちがいました。

杉原一司(すぎはら かずし)は23歳で病没し、歌集を残すことさえできませんでした。しかし彼の才能は、親友・塚本邦雄という戦後短歌の巨星の中に生き続けました。影の中に消えた才能が、光の中に甦る——その物語。

中城ふみ子(なかじょう ふみこ)は、乳癌で両乳房を失い、31歳で死にました。しかし彼女は死の直前に短歌研究新人賞を受賞し、その赤裸々な生と性と死を詠んだ歌は、戦後短歌に新しい地平を開きました。

一人は影の中に。一人は光の中に。しかし二人とも、31文字に命を賭けました。次回は、定型詩という器が持つ力——制約が逆に言葉を解放するという逆説——と、そこに賭けた二つの命の物語をお届けします。どうぞお楽しみに。

(第3回 完)

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